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誰にも向けてないもはや。

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遠くへ。

先日、友達二人とレンタカーを借りて北海道の東方面へと二泊三日のドライブをしました。
夕張、富良野、十勝、知床、根室、釧路と。
しめて千キロ以上

 この場では時折言っているのですが年齢とともに変わるものは必ずあって、歳を重ねると"世界は狭いなぁ"なんて思うことも少なくありません。
これを僕は"世界が小さくなっていく"ということだと考えていたのですが、どうも違うみたいで。

 当たり前なことなんですが世界の大きさなんてほぼ変わらないわけで、単純に感じ方の変化なのだなと。
今回のレンタカー旅行しかり、3月には山形に二度(旅行と免許合宿)行きました。
行ける範囲が広がり、実際に行ったりなんだりしてるうちに「あ、思ったより自分っていろんなとこ行けんじゃん」って感じるからなのですね。

 大学生になってからというよりか、普通より少し多くバイトをして免許をとってと幾つか条件が重なっての結果だとは思いますが、遠いなと思っていたところに割と簡単に行けるのは革命的であり、でまた少し寂しいものですね。わがままですね。

 まだ中学生、高校生の頃、誰かが本州に行く、行くかもってなった時、"絶対行く!"とか"行くことあったら遊ぼう"なんてことを言ってました。
当時は半ば諦めがあったり、心の中で「(本当にそんなことできるのか?)」という自分への疑いがあったり。

 でも今はごく普通に言ったことを実現できるようになり、「あ、凄いなぁ」って自分でビックリします。流石に海外となると厳しいとこありますけど。

 実際に周りの人にも北海道を出たり北海道のはじっこに行ったり、なんなら海外に行った人もいますけど、別にとんでもなく遠くなった感じはないですね。インターネットの普及も要因の一つなのでしょうけど。

 今も昔も近い関係にいる人はもちろん変わらず近くにいます。当たり前ですけど。
でも、微妙なところに、会おうと思えば会えるし別に特別離れたワケでもない人との距離感は凄まじく遠くなっていく感覚があります。

 私の今の生活状況・環境はその距離の人には分からないだろうし、逆も然りです。
寂しいですね、ふと遊ぼうかなって思った時にはもう手遅れなのかもしれませんね。
でも、私がそう思っている人がいるってことはわ私もそう思われてるかもしれませんね。大丈夫です、私は何も変わらずにいます。

 歳を重ねるってのはこういうことなのですか。ふむ。
そういえばこの間、青森の大学に行っているやつがこちらへ帰ってきたので遊びました。ご飯食べてカラオケに行っただけですけど。
他の人(私を含める)が歌を歌っているとき奴はいつもスマホいじってます。Instagram見てニヤニヤしてます。
カラオケいる時ぐらいがっつりスマホいじるのやめてくれっていうのはわがまま。でも私はそう思うんですよ。
ゲームとか昔周りの友達もカラオケでしてましたけど自然とやらないようになりました。皆さんどう思います?

 その例の奴といるといつも「こいつは普段どれだけ周りの人間に恵まれているんだろうか」と思います。これは僕だけの意見ではなく共通の友達との共通の意見。
ただ嫌いになれませんね、楽しいので、こういう対応がまた奴を甘ったれた人間に育て上げる。人たらしはズルいですね。

 でも、もしかしたら僕も気づかぬ内に人の優しさに助けられてるのでしょう。きっとそうだ。
これを読んでいるあなたもきっとそうですよ。最近よく思います。
自分は〜から始まる言葉は一度客観的に推敲してみても良いかもしれない。意外と高い割合で間違ってるかもしれません。
それは僕も同じです。こわいですね。間違うもんなんですよ人間。それをわからない人はそれが一つ目の間違い。

それでは。




僕の大好きなSOUL'd OUT。めちゃダサくてカッコイイ。大丈夫です、僕も最初は"カッコイイ"の部分は無かったです。レンタカーの中でも馬鹿みたいに三人で歌ってました。カラオケでもSOUL'd OUT歌いました。その時も奴はInstagram見てました。
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夜更けにつれて。

朝型、夜型なんて言葉があります。いつできたのかは知りませんが根本的に夜型という概念が生まれたのはここ最近、と言っても何十年の間の話じゃないでしょうか。

 「○○君って朝型?夜型?」みたいな何の発展性もない質問をよく耳にしますが、大学生として生活をしているとまず朝型の人間に出会うことはありません。こいつのせいです。この今あなたがこれを閲覧している媒体のせいです。

 インターネットの普及によって離れていても、文字・声・場合によっては顔を見て、"会話"をすることがとても容易な世界になりました。
それはという従来孤独の時間だったはずのものにも影響を及ぼし、一人の時間は一人という自覚の無いものになりました。

 私の周りでもそれは起こっています。
ドア一枚挟んだ私の弟の部屋からは今日も話し声が聞こえています。オンラインゲームと通話がセットになってきたという話にも深く頷ける事例でしょう。

 違いました、弟の部屋を覗くと普通にお友達がいらっしゃいました。生身です、生身の人間が。
最近よく家に友達を泊まらせにきています、というか以前から頻繁に家に入れてリビングでゲームしたりしてたのでそれの延長でしょうか。
ただ、夜、私が眠ろうとしてるときに好きな女優の話をしたり猥談したりするのはいささか受け入れられません。名前も知らない高校生の広瀬すず愛を聞いて私はなんと言えばよいのでしょうか。せめて、せめてもうちょい小さい声でやってくれと、そしたら私もイヤホンしてSOUL'd OUT聞くからと。そんなことをLINEで簡単に今は言えます。便利。

 私は基本的に夜が好きです、書き物をしたり作り物をするのも大概夜です。ですが人体のつくりには勝てません。眠いので寝ます。
私の家はよく言えば閑静な住宅地、素直に申せばそこそこの田舎にあるので夜は静かです。なので創作活動にはもってこいです。
嘘です、昼間も静かです。しかし昨年近くにローソンができました。もうコンビニに行くのに坂を上るか橋を渡るかの二択で迷わなくてよくなりました。

 でも悩み事や考え事を夜にするのはあまり良くないらしいです。自然とネガティブな方向に思考が動いてしまうそうです。だから今喧嘩もLINEや電話でできますけど、夜は控えて一晩寝ましょう。そしたら怒りは収まるかもしれない。

 私は夜が好きです。夜型の人間か?と問われたら、確かに夜になるとテンション上がりますが同時に眠くもなりますし、朝特に目覚めも悪くないですし何とも言えないですね。単純に夜が好きです。
完全に雰囲気で言ってます。夜、一人で川沿いの道を歩く、気持ち渋めの顔をしてイヤホンで音楽を聴く。完全に雰囲気。ニュアンスですね。大体こう言うのはニュアンスです。好きな理由なんて大体後付ですよ。ということで僕も後付します。
夜は太陽が出てないからUV心配しなくていい
ガーリィ〜。とてもガーリィ。乙女。アホですね。

 街灯なんか無かった時代の夜はどんな感じだったんでしょうね。月の灯に照らされて、少し憧れます。
なので私は毎晩、部屋の電気を消しカーテンを全開にして寝ます。
見えるのは街頭街頭&ローソン。涙が出る夜。

 ちなみに街頭は白より橙の方が犯罪率が低いそうです。ではまた。




街頭に照らされる夜も素敵です。そんな風に思えたきっかけでした。

くだらない話。

最近よく、"くだらない"って言葉を使うのです。
いわゆる口癖になっているのですが。
口癖ってのは自分で気付かなくても大体みんなあるものです。自分がモノマネをされる立場になった時ふいに気づいたりして。
口癖って自分で存在に気づいた時、少し恥ずかしくなりません?
"同じ言葉を繰り返している"というのが少しアホっぽいからでしょうか。

 こんな言葉が口癖になったのも恐らく理由はあります。というか最近ほぼバイトしかしてないので選択肢も限られますね。
ずっとお家にいたらいいのでしょうが、そうもいきません。世に出ていくと理不尽なことはたくさんあるのです。

 今日はその理不尽なことに対して「理不尽ですねぇ」と至極当たり前のことを私は言いました。
目上の方は「それが社会に出るってことだよ」と言うので、ほ〜なるほど、でも俺まだ19の学生だし社会基準で判断されるのは納得できないですわ〜ってね、そういう言葉がね、声に出てました。

 私はいつかの時も語ったように19はまだ大人と呼ばれることに納得いってない勝手な人なので"社会"という言葉に照準合わせられてもポカンとしちゃいますね。
そこで~俺が社会を変えてやる~とか言える人間だったら良いんですけど生憎そこまでのエネルギーは持ってないですね。

 凄いですよ、そういう人は。自分を変えるっていうのも相当なエネルギーが必要なワケで、人を動かすってのは更に大変なのに社会を変えるって。単純計算1億倍以上ですよ。

 何か新しいことを始める時に"自分を変えたくて〜"なんて言葉をよく聞きます、現実でも二次元でも、実際聞いたこともあります。
でもそういうのを聞くたびに、それはあなたが勝手にそう思ってるだけなら良いですけど、この場をそのチェンジユアセルフのツールにしないで欲しいなあとか思いますね。偉そうですけど
思ってても言わないでほしいです。他の人はその場を楽しみたくてそれをやりたくて来てるのに、最終目標が違うじゃないかと、そんなことを思ってしまいます。
なんて。

 忙しいとどうしても角が鋭くなるのが人間ですね、でも私はイライラしてる人と仕事はしたくないので私もしないようにしています。
その角張った生活の中で私は"くだらない"ことを日々模索するのです。

 ここで言う"くだらない"というのは決してネガティブな言葉ではなく、非常にポジティブな明るいことなのです。ただどこかアホっぽいねってことで"くだらない"という言葉を使ってるわけです。
くだらないことを日々探し、わりかし多めに時間を割いて終わった後思うのです。
「くだらないなぁ」って。とても満足。

 でもみんなその楽しさ・楽さに気付かないから必死に真面目に生活しようとしてるように見えます。だからそれを昇華するために何か自分の趣味を頑張ったりストレス発散するのかなぁと。
でもそれって結局マイナスをゼロに戻すだけでもったいないと思います。

 日常生活に"くだらない"を散りばめておいてもう少し楽に生活したらゼロじゃなくてプラスになると思うのです。まあ、そんなことできねえよ!とか、それこそ社会はこういうものって言い切る気持ちはわからんでもないですけどね。
でも僕はくだらないことを楽しみながら生きていきます。良いでしょ。

 機嫌が悪くていいことなんか何もないです、他者への威圧に使える?なるほど、でもその態度はいつかあなたにとってデメリットになると思うのです。
そんなのわかってます、でも全部はできない。当たり前。考えたこと全部できたらいいのにね。

 くだらないことできていますか?
最低限やることやってたらあと全部そんなに必死にならなくていいと思うんです。世の中本当に急がないといけないことなんてそう多くありません。
人命が関わる場面と、人との出会い・別れくらいです。
やることやってから"くだらない"を楽しんでください。もしかしたらお偉いさんに怒られるかもしれませんけど、それはただ自分が"くだらない"の楽しみ方を知らないから羨んでるだけでしょう。かわいそ。

 それにしても私は考えが甘いですね。でもまだ子供なので許してください。
どこかでは自分が子供じゃないこと気付いてるんですけどね。必死に目を背けたりたまにチラッと見ています。
それもこれもあと半年の悩み。

長くなりすぎました。ではまた。




今回はすごくベタに。星野源は未だに昔の曲地上波でやってくれたりして嬉しいですね。クモ膜下出血で倒れたことを『恋』(または『SUN』』)から知ったよって人は知っているのかなぁ。生死を彷徨って自分の作るべき音楽の捉え方が少し変わったらしいです。僕はどっちも素敵だと思います。でもまたこんな曲聞きたいなとか思っちゃうんですよね。ちなみに恋ダンスは踊れます(割と完璧に)。