くだらない話。 2018年8月 2018年08月07日 最近よく、"くだらない"って言葉を使うのです。いわゆる口癖になっているのですが。口癖ってのは自分で気付かなくても大体みんなあるものです。自分がモノマネをされる立場になった時ふいに気づいたりして。口癖って自分で存在に気づいた時、少し恥ずかしくなりません?"同じ言葉を繰り返している"というのが少しアホっぽいからでしょうか。 こんな言葉が口癖になったのも恐らく理由はあります。というか最近ほぼバイトしかしてないので選択肢も限られますね。ずっとお家にいたらいいのでしょうが、そうもいきません。世に出ていくと理不尽なことはたくさんあるのです。 今日はその理不尽なことに対して「理不尽ですねぇ」と至極当たり前のことを私は言いました。目上の方は「それが社会に出るってことだよ」と言うので、ほ〜なるほど、でも俺まだ19の学生だし社会基準で判断されるのは納得できないですわ〜ってね、そういう言葉がね、声に出てました。 私はいつかの時も語ったように19はまだ大人と呼ばれることに納得いってない勝手な人なので"社会"という言葉に照準合わせられてもポカンとしちゃいますね。そこで~俺が社会を変えてやる~とか言える人間だったら良いんですけど生憎そこまでのエネルギーは持ってないですね。 凄いですよ、そういう人は。自分を変えるっていうのも相当なエネルギーが必要なワケで、人を動かすってのは更に大変なのに社会を変えるって。単純計算1億倍以上ですよ。 何か新しいことを始める時に"自分を変えたくて〜"なんて言葉をよく聞きます、現実でも二次元でも、実際聞いたこともあります。でもそういうのを聞くたびに、それはあなたが勝手にそう思ってるだけなら良いですけど、この場をそのチェンジユアセルフのツールにしないで欲しいなあとか思いますね。偉そうですけど思ってても言わないでほしいです。他の人はその場を楽しみたくてそれをやりたくて来てるのに、最終目標が違うじゃないかと、そんなことを思ってしまいます。なんて。 忙しいとどうしても角が鋭くなるのが人間ですね、でも私はイライラしてる人と仕事はしたくないので私もしないようにしています。その角張った生活の中で私は"くだらない"ことを日々模索するのです。 ここで言う"くだらない"というのは決してネガティブな言葉ではなく、非常にポジティブな明るいことなのです。ただどこかアホっぽいねってことで"くだらない"という言葉を使ってるわけです。くだらないことを日々探し、わりかし多めに時間を割いて終わった後思うのです。「くだらないなぁ」って。とても満足。 でもみんなその楽しさ・楽さに気付かないから必死に真面目に生活しようとしてるように見えます。だからそれを昇華するために何か自分の趣味を頑張ったりストレス発散するのかなぁと。でもそれって結局マイナスをゼロに戻すだけでもったいないと思います。 日常生活に"くだらない"を散りばめておいてもう少し楽に生活したらゼロじゃなくてプラスになると思うのです。まあ、そんなことできねえよ!とか、それこそ社会はこういうものって言い切る気持ちはわからんでもないですけどね。でも僕はくだらないことを楽しみながら生きていきます。良いでしょ。 機嫌が悪くていいことなんか何もないです、他者への威圧に使える?なるほど、でもその態度はいつかあなたにとってデメリットになると思うのです。そんなのわかってます、でも全部はできない。当たり前。考えたこと全部できたらいいのにね。 くだらないことできていますか?最低限やることやってたらあと全部そんなに必死にならなくていいと思うんです。世の中本当に急がないといけないことなんてそう多くありません。人命が関わる場面と、人との出会い・別れくらいです。やることやってから"くだらない"を楽しんでください。もしかしたらお偉いさんに怒られるかもしれませんけど、それはただ自分が"くだらない"の楽しみ方を知らないから羨んでるだけでしょう。かわいそ。 それにしても私は考えが甘いですね。でもまだ子供なので許してください。どこかでは自分が子供じゃないこと気付いてるんですけどね。必死に目を背けたりたまにチラッと見ています。それもこれもあと半年の悩み。長くなりすぎました。ではまた。今回はすごくベタに。星野源は未だに昔の曲地上波でやってくれたりして嬉しいですね。クモ膜下出血で倒れたことを『恋』(または『SUN』』)から知ったよって人は知っているのかなぁ。生死を彷徨って自分の作るべき音楽の捉え方が少し変わったらしいです。僕はどっちも素敵だと思います。でもまたこんな曲聞きたいなとか思っちゃうんですよね。ちなみに恋ダンスは踊れます(割と完璧に)。 PR