新しい人間。 2018年7月 2018年07月20日 「今時の子は…○○を知らない!!」「え〜!ウソ〜!」「○○知らないの〜!?」「じゃあどうしてるの?」「○○です。」「え〜〜!」みたいな。流れよく見ます。テレビだけじゃなく日常生活でも。 昔あったものがなくなり、それに取って代わるものが出てくる。当たり前の流れ。もちろん良いものは残っていくけれど。でも「昔は〜あの頃は〜」なんてこと言っちゃうんです。なんて不毛な言葉。あの頃はあの頃のままで、どうぞ。しかし私も油断するとそういうこと言っちゃいます。気をつけてはいても人間の根底にある懐古的な何かなんでしょうか。言ったあとに後悔。自覚なく言ってる人はその頃に帰ってください、自覚ないから自覚できないけど。 単なる思い出話として「あの頃はこんなものがあったよ。」と言えれば良いのですが、どうしても比べてしまいます。 比べたところでって場面はよくありますね、でも僕比べられるのは嫌いではないです。テストとかオーディションとか競争とか。他社からの相対評価が受けられるものは楽しいです。それがどんだけ苦手なものでもなんの対策もしてなくてもいいですね。むしろ抜き打ち的なものは素の力で比べられて楽しいです。かけっこは人生通じて一度だけ3位を取れました。私は足が遅いです。 話はある種戻ります、無関係といえば無関係の話。モノは時代とともに入れ代わっていきます。良いものはリニューアルを繰り返しながら色褪せずに。ただ人間はそうもいきません。一人の人間としてコンテンツの終わりは見えてます。老いという色褪せシステムもあります。 そういうワケで人間も立場やメイン層がだんだんと、褪せた人間が追い出され、ピカピカニューホープが参入するという図式は普遍的であります。 そして、いわゆるニューホープと呼ばれる人たちが自分よりも年下になっていることに驚きます。気付いてますか?気付いていない人は、ニューホープそのものか、ニューホープでない人です。ただコンテンツによってその基準は変わりますね。 こんなこと言ってると、私はまだギリ未成年なのでお前は若い!と言われると思われます。よく言われます。そうです、僕は若いです。これでマウント取ろうとした僕よりも年老いている人は残念でした。僕はまだ若いという自覚があります。新しいものに触れる余力も残っています。 それでも確実に時代は僕を"過去"に押し出そうとしてきます。憎らしい。あの大型ルーキーも天才ギター少年も若き秀才プログラマーもスーパー高校生も、年下です。同世代ですらないです。それも1つや2つの年下でなく、場合によっちゃ5つとか違いますね。将棋の藤井聡太君なんか正にそう。 思い返せば前を歩く上の世代に凄い人がいて、徐々に横の同世代に凄い人が出てきて、気付いたら凄い人が自分を追っかけていたはずの後ろにいて。 後ろ見ながら歩くってのはキツいものです。そりゃ悔しくもなります。でも頑張って新しいものに触れようと後ろを向きます。これが盲点、過去も後ろにあるのです。新しいものを見ようとすると古いものも視界に入ってしまう。どういうこっちゃ。このシステムはあまりにも厳しい。 そうなるとやっぱり比べちゃいますね、せっかく若い人と触れ合おうと思ったのに気付いたら自分の昔話を持ち出している、そんで若人を困らせる、それを見て自分で自分を張り倒したくなる。このシステムはあまりにも欠陥が過ぎる。 ということで、どうでしょう。ニューホープは定年から、ご老人が新たな期待を背負い奮闘したらこの"ねじれ"は解消されませんか?何言ってんだか。ご老人は無理せず落ち着いて日々を過ごしてください。 最近、音楽はYouTubeで聞いて、果ては違法ダウンロードして満足する。それでいてしっかりとコメント欄に「大好きです!」なんて書き込んじゃう。そんな人がいると噂には聞いてましたが身近にいて驚きました。ちゃんと対価は払いましょう。ダウンロードでもいいので。コンテンツとはそうやって衰退していってしまうのです。今お金ない人はお金に余裕ができたらでも。また新しいものを見るために、です。ではまた。フォークソングのニューホープ。最近話題の崎山蒼志君。現在、高校1年生でこの歌は中1の時に作ったそうです(知ってる人も多いと思いますケド)。今度、配信限定で音源が発売されます。気に入ったら違法ダウンロードする手を止めてぜひ買ってあげてください。まだ若い芽を摘まないように。 PR